1月7日の名言

2020年5月12日火曜日

1月

t f B! P L

アンドレ・クレージュさんの残した言葉【ミニスカートの生みの親】 1923年3月9日~2016年1月7日


「私のテーマが女性であるなら、ドレスを作るだろう。しかし、ときに、私が表現したいすべての気持ちを伝えるのにドレスでは足りないことがある。そんな時は、別な方法を使って、自分の考えを表現するんだ。例えば建築のようなね。」


「女性が本当に美しいのは、裸のときだけさ」


フランスのファッションデザイナー。

ジョルジュ・ウォランスキさんの残した言葉【漫画家】 1934年6月28日~2015年1月7日


「なんて多くの人が愛のためではなく命を失っていくのだろうか。」


「行って来るよ」

(妻へ)
最後の言葉

フランスの漫画家。『アラキリ』、『シャルリー・エブド』、『リュマニテ』、『パリ・マッチ』など多くの新聞に風刺画を掲載し、また『シャルリー・エブド』の編集長を務めた。
2015年のシャルリー・エブド襲撃事件でイスラム過激派に殺害された。

花柳壽楽(2代目)さんの残した言葉【舞踏家・人間国宝】 1918年3月7日~2007年1月7日


「歌舞伎はパフォーマンスの積み上げ、能は心の叫びを基にできあがっている。 日本舞踊はこの間を行く。」


昭和から平成にかけて活躍した日本舞踊 花柳流の舞踊家。人間国宝。本名は青山 次郎。花柳流の伝統を継承して古典舞踊を伝えるとともに、創作舞踊にも積極的に取り組み、宝塚歌劇団の演目の振付なども行った。 講談師の三代目錦城斎典山の次男として東京に生まれる。

岡本太郎さんの残した言葉【芸術家】 1911年2月26日~1996年1月7日


「人間は精神が拡がるときと、とじこもるときが必ずある。強烈にとじこもりがちな人ほど、逆にひろがるときがくる。」


「人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう。」


「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。」


「人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。」


「友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。」


「自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。」


「気まぐれでも、何でもかまわない。ふと惹かれるものがあったら、計画性を考えないで、パッと、何でもいいから、そのときやりたいことに手を出してみるといい。不思議なもので、自分が求めているときには、それにこたえてくれるものが自然にわかるものだ。」


「下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか。」


「むかしの夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない。」


「この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ。」


「素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない。」


「きみはあなた自身を創造していると思いなさい。」


「自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」


「人生の目的は悟ることではありません。生きるんです。人間は動物ですから。」


「自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。」


「心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ。」


「恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある。」


「流行なんて、文字どおり流れていく。」


「全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ。」


「不動のものが価値だというのは自分を守りたい本能からくる錯覚に過ぎないんだよ。破壊こそ創造の母だ。」


「大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ。」


「他人のものはもちろん、たとえ自分の仕事でも、なぞってはならない。」


「自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ。」


「人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ。」


「ぼくは口が裂けても、アキラメロなどとは言わない。」


「手なれたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ。」


「恋の始まりは瞬間でも、つきあいが長引くかどうかは、美醜よりも人間味にかかわる問題だ。」


「猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない。」


「自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ。」


「壁は自分自身だ。」


「人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある。」


「むしろ『成功は失敗のもと』と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている。」


「挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない。」


「いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから。」


「誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう。」


「女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ。」


「僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ。」


「ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない。」


「逃げない、はればれと立ち向かう、それがぼくのモットーだ。」


「自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい。」


「生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている。」


「私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた。」


「自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる。」


「愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない。」


「まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!」


「孤独であって、充実している、そういうのが人間だ。」


「愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ。」


「自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる。」


「自由の実験室。」


「面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ。」


「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。」


「信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ。」


「自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ。」


「ぼくはいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける。」


「ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、けっして、きれいではない。」


「ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに。」


「ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感。」


「評価されるなんていっさい必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと『音』を出す。これが前提だな。」


「なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。」


「同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ。」


「自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!」


「情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ。」


「でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない。」


「宇宙的ではなく宇宙なんだ。」


「チームを作ったり、コンビで何かやるときは、遠慮したり、内にこもらず、面白くぶつかりあうことが大事だね。ぶつかりあうことが面白いと思ってお互いをぶつけあう。そうすれば、逆に生きてくる。」


「人間の生活は矛盾だらけだ。それに耐え、そのマイナス面をプラスの面に転化してゆくこと。それが創ることなんだね。」


「年とともに若くなっていくのが自分でわかるね。」


日本の芸術家。血液型はO型。1930年から1940年までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。

榎本健一さんの残した言葉【コメディアン】 1904年10月11日~1970年1月7日


「最初から喜劇と考えないで、まともな芝居を基本にして、それから喜劇をやってもらいたい。」


「あくまでも大衆の中で私は生きたい。」


「何もしなくても笑わせる。そう一般大衆が見てくれるようになるのが努力。」


「死ぬよりも、生きているほうがよっぽど辛いときが何度もある。それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。」


「喜劇を演ろうと思ってやっても、喜劇にはならないよ。」


「ドラが鳴ってるよ、早くいかなきゃ」

最後の言葉

日本の俳優、歌手、コメディアンである。当初は浅草を拠点としていたが、エノケンの愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、第二次世界大戦期前後の日本で活躍した。

page top

page top

このブログを検索

QooQ